※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2013年
NO、339「ものがたり」
***********************
後年、仏教はキリスト教と同じような変形を来たした。
仏陀は、いわば自己発展のイメージとなった。
つまり仏陀が人間にとって模倣すべきモデルとなったのであるが、仏陀が実際に説いたのはそれとは逆に、「因縁」の鎖を克服することによってすべての人間は開悟せるものに、仏陀になりうるということであった。
キリスト教においてもこれと同様に、キリストは、キリスト者のなかに統合された人格として生きている模範なのである。
しかし歴史の○勢は「キリストにならいて」という方向へ流れ、これによって個人は自分自身の運命の道を全体性に向かって歩もうとせず、キリストの歩んだ道をたどろうと希求した。
東洋においても同じで、歴史的な発展の方向は仏陀を信心深く模倣するように向かった。
仏陀が模倣されるモデルとなってしまうことは、それ自身仏陀の思想の弱体化であって、
それはちょうど「キリストにならいて」がキリスト教思想の発展に宿命的な停滞を来たす先駆となったのと同様である。
仏陀が、彼の洞察そのものの故に、ブラーマの神々を凌駕していたように、キリスト教はユダヤの民に「あなたがたは神々である」と呼び掛けた。
しかし人々は彼のいったことの意味を理解することができなかった。
そのむくいとして、いわゆるキリスト教的西欧が、新しい世界を造り出す代りに、我々の現在所有している世界の滅亡可能性へ迅速に近づいている。
(「ユング自伝―思い出・夢・思想―」2 著、C・G・ユングより引用)
***********************
世界にただ一つしかない、
自分のためだけにある、
魂の
「因縁」、「運命」、
自分の「物語」と、
向き合えてますかー?
**********************************************
今日もありがとうございました!
※現在も継続して発行中!
最新号は、下記右フッターより登録★