※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、700「むち」
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『われわれは信じる。
すべての心、すべての人の心、すべての生きとし生けるものの心、その心の究極の本性は澄み切ったものであると。
ならば、すべての苦しみ迷う感情は、その心から本質的に切り離し得る。
悪しき感情はすべて、無知より生じるものである。
無知とは、現実を間違った方法で捉えたもののことを言う。
現実を誤解することと、正しく認識することは、まさに対極にあり、ちょうど光と闇の関係にある。
光が差し込むやいなや、闇は去る。
同じように、現実の究極の認識ができるやいなや、それはとりもなおさず空の概念を体得することであるが、人は現実の誤った認識から解き放たれる。
そして、体験がいよいよ進めば、結局、すべての誤解は霧消することになる。
これが仏教徒としての仏性の解説である。
なぜなら、すべての生きとし生けるものは、仏になる可能性を秘めているからである』
(たっちん:ここまで、ダライ・ラマ14世の言葉。)
知や無知は、われわれが漠然と考える概念とはちがうようだ。
『無知とは、現実を間違った方法で捉えたもののことを言う』と聞くと、なるほどと感心してしまう。
われわれは無知とは知らないことだと思っている。
無知はわれわれが思っているよりもやっかいなもののようだ。
無知と知を闇と光にたとえるのはどの宗教にも共通である。
(「ダライ・ラマが語る般若心経」著、大谷幸三より引用)
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『無知とは、現実を間違った方法で捉えたもののことを言う』
まったくなるほどです。
誤解から生まれる苦しみがどれだけあるか。
日々、本当の「知」への修業。
ありがとうございます★
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今日もありがとうございました!
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