※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2015年
NO、883『もうわっかんない!!!』
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(立花:明治の宗教家・哲学家である真宗大谷派、清沢満之先生のお話。)
私が如来を信ずるのは、私の知恵の窮極であるのである。
人生の事に真面目でなかりし間は、おいて云わず、少しく真面目になり来てからは、どうも人生の意義について研究せずには居られないことになり、
その研究がついに人生の意義は不可解であると云う所に到達して、ここに如来を信ずると云うことを惹起したのであります。
(中略)
この自力の無効なることを信ずるには、私の知恵や思案の有り丈を尽くして、その頭を挙げようのない様になる、と云うことが必要である。
これが甚だ骨の折れた仕事でありました。
その窮極の達せらるる前にも随分、宗教的信念はこんなものである、と云う様な決着は時々出来ましたが、それが後から打ち壊されてしまうたことが、幾度もありました。
理論や研究で宗教を建立しようと思って居る間は、この難を逸れませぬ。
何が善だやら悪だやら、何が真理だやら非真理だやら、何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るものでない。
我には何にも分らないとなったところで、一切の事を挙げて、ことごとくこれを如来に信頼する、と云うことになったのが、私の信念の大要点であります。
(明治三十六年六月十日発行「精神界」著、清沢満之先生より引用)
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昨日は、とある先輩のお陰で、自分の深い深い内面に入って入っていきました。
そして、答えの出ない問いがずっとずっと続いていきました。
「もうわからん!!!」
そう真剣に思い詰めた時、以前出会った清沢満之先生のこの言葉たちがフッと浮かんできた。
「いくら考えてもわっかんない。
だから、信じるんだ。」
(上記、清沢先生のお言葉を立花的に超短略化&口語訳(笑))
信じれるから信じるのもいい。
その上で、
もう全く信じれるものがないから、信じると決めてしまうのも、
またいい。
「信じるということには煩悩苦悩が払い去られる効能があり、
種々の刺激や事情のために煩悩苦悩する場合にも、
それは私に、たちまちにして安楽と平穏を与えてくれる。」
by清沢満之先生
「もう、わっかんない!」
だから、もう、
「ありがとう」を
信じてみます。
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「アウトプットすることで、自分に定着する」
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