※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、363「しんわ」
***********************
私自身の夢のみではなく、時には他人の夢も、死後の生命に関する私の考えを形づくり、修正し、確証するのに役立った。
私の生徒であった六十歳の婦人が、死亡する二ヶ月前に見た夢を、私はとくに大切と思った。
彼女は(夢で)あの世に入った。
何かの学級が開かれているようで、彼女の死んだ友人たちは前列に座っていた。
皆の期待感が高まっていた。
彼女は、教師や講師がいるだろうと見回したが、誰もいなかった。
そうするうちに、彼女自身が講師であることが判明してきた、というのは、死ぬとすぐに、人はその存命中のすべての経験について述べねばならないのだった。
死者たちは、新しい死者がもたらす生活体験に非常な興味を示した。
それはまるで、地上の生活に生じる行為や経験が、何か決定的なものであるかのようであった。
ともかく、この夢はこの地上においては見出せない類の最も異常な聴衆についてのべている。
彼らは一人の人間の最後の心理的な結果に強い興味を寄せている。
それは――われわれの考え方からすると――何ら顕著なことでもなく、それから引き出せる結論をこえるものでもない。
しかし、もし「聴衆」が無時間の相対性の状態で存在し、そこでは「終止」や「事象」や「発展」などが疑わしい疑念であるならば、彼らの状態に欠けている事柄に彼らが最も興味を抱くのも、ありうることである。
この夢をみたころ、この婦人は死をおそれており、できるかぎり、死について考えることを避けようとしていた。
しかし、死は、とくに老人にとって、重要な関心事である。
老人には絶対的な疑問が課せられ、それに答える義務を負わされる。
このために、その人は死についての神話をもたねばならない。
それは、理性は彼が下りてゆきつつある暗い穴以外の何ものも示しはしないからである。
しかし、神話は死者の国についての、役に立つ豊かなイメージを人に現してくれる。
もし、それらを信じ、あるいは、何らかの信頼をもってそれらを迎える人は、正しいかもしれないし、まちがっているかも知れない。
けれども、それは、それを信じない人にとっても同様のことである。
しかしながら、後者は絶望して、無に向かって歩んでゆくのに対し、元型にその信を置いた人は、生命の道に従いまさにその死の中に生きてゆく。
確かに、両者とも不確実さを残している。
しかし、一方はその本能に反対し、他は本能と共に生きている。
(「ユング自伝―思い出・夢・思想―2」著、C・G・ユングより引用)
***********************
「死ぬ」ということに関して言うなら、
「死ぬば、生まれ変わる。」
「死ねば、消滅する。」etc…
ほんとの所はわからないくせに、人それぞれ自分が信じている考え方、「神話」を持ってる。
それぞれの持つ「神話」は、時に自分を恐れさせ、時に自分を安心させ…いろんな影響を与える。
もっと言えば、自分の持つ「神話」通りの人生を歩むのかもしれませんね。
「自分は、どんな神話を持っているかな?」
そんな風に自分の心、見つめてみるのも大切ですね。
**********************************************
今日もありがとうございました!
※現在も継続して発行中!
最新号は、下記右フッターより登録★