※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、360「いんねん」
***********************
仏陀は、その弟子たちから、カルマが個人的なものかどうかを再度にわたって尋ねられている。
そのたびに、仏陀は質問を受け流して、その問題には立ち入らなかった。
それを知ることは、存在の幻から自己を解き放すことに寄与するものではなかろうと仏陀は言った。
仏陀はその弟子たちが、誕生、生、老年、死の因縁の鎖について、そして、苦の因果について瞑想することがはるかに有益であると考えていたのだ。
私の生きているカルマが、私の前世の生活の結果であるのか、あるいは、私の祖先の行いの結果、すなわち、先祖の遺産がすべて私に受けつがれているのではないのか、私は答えを知らない。
私は先祖の生命の結合で、それらの生命を再び肉体化したものではないだろうか?
あるいは、過去に一個の特定の人間として存在し、私が今や解決を探し出すことのできるまで、そのときに生命の進歩をなしとげていたのだろうか?、私は知らない。
仏陀は答えを不問にした。
仏陀自身も確実には答えを知らなかったのだと私は考えたい。
私は昔に生きていて、答えることのできぬ問題にぶつかった。
そこで、自分に与えられた仕事を完成していないので、再び生まれて来なければならなかったと考えることもできる。
私が死ぬと、私のなしたことは私と共に続く――これが私の想像していることである。
自分のなしたことは自分と共にもってゆく。
最後になって、私が空手のままでいることがないのを保証することが、そこで大切となる。
仏陀が弟子たちに、無益な思弁によって時間を空費しないようにしたのも、このような考えを彼も持っていたからのように思われる。
(「ユング自伝―思い出・夢・思想―2」著、C・G・ユングより引用)
***********************
今あるものは、前世まで作り上げたもの。
今世、何かを成し、その何かを持って来世に向かう。
そんなダルマやカルマがあるかどうかはぼくにもわからんけど、
信じる人、信じない人も含めて、
間違いなく誰もが因縁を持って生きてるように見える。
その上で、もしも、ほんまにそれを信じられたら、
もっともっとながーーーい視野で考える気がする。
今やること、今じゃなくてもいいことetc…
考え方が変わり、
もっともっと愛に満ちた生き方につながるのかもしれない。
ぼくは、この考え方、好きやなぁー♪
**********************************************
今日もありがとうございました!
※現在も継続して発行中!
最新号は、下記右フッターより登録★