※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、510「わたし」
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片手の拍手はどんな音がするのか、という禅の公案をご存知だろう。
勿論、拍手するには両手が必要である。
それが通常の経験の構造である。
わたしたちは、主体としてここにいるという感覚をもち、世界は客体として向こう側にいるという感覚をもっている。
わたしたちはこのように、主体と客体という「両手」の経験をもっているのだ。
通常の経験とは、ここで手を打ち合わせる、つまり交流を行う。
そしてそれが音となる。
外側にある客体が、主体としてのわたしにぶつかる。
そしてわたしは経験をもつ。
両手が打ち合わされ、経験が生まれる。
通常の経験の構造とは、顔へのパンチのようなものである。
通常の自己とは完全に打ちのめされた自己である。
外側にある世界に打ちのめされているのだ。
通常の自己とは傷だらけ、青あざだらけである。
それは両手を打ち合わせるという経験の結果なのである。
この青あざこそ、ドウッカ、苦しみなのである。
クリシュナムルティが言ったように、主体と客体の隙間にこそ、人間すべての苦しみがあるのだ。
非二元の状態であると、そこに両手はなくなる。
主体と客体は一つの手となる。
あなたの外側にあるものがあなたにぶつかるということはない。
傷つけたり、苦しめたりすることはなくなる。
突然、あなたは経験をもつ、ということはなくなり、あなたが経験となる。
(「万物の歴史」著、ケン・ウィルバーより引用)
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わたしは、誰ですか?
この痛みを感じるのがわたしですか?
この心の痛みを感じるのがわたしですか?
本当ですか?
わたしはどこにいるんですか?
わたしは、なんなんですか…?
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