※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、559「ゆだねる」
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(たっちん:科学的観点からスピリチュアル教育をなさっている飯田史彦先生のお話。)
これまで多くの方を鬱病から救い出してきた。
この方は、アメリカのマーティン・セリグマンという先生で、鬱病の研究に基づいて非常に重要な発表をなさっているです。
(中略、以後、セリグマン先生のお話。)
「人間は生き甲斐と希望がなければ生きていけない。
私達はかつては挫折した時に心を休め、自分を取り戻すための精神的な支えを十分に持っていた。
私達を取り巻くこのように大きな存在を私は共通認識と呼ぶ。
これは国、神様、家族そして私達の生命を超えた大きな目標に対する信頼感を言う。
私達はどこにアイデンティティーや目標や希望を求めればよいのだろうか。
精神的な支えがほしくても周りを見回しても、心地よいソファーもイスも無く。
小さくて危なげな折りたたみイス、つまり自己、自分しか居ないのだ。
より大きな存在とつながっているというクッションに包まれていない丸裸の自分は鬱病にかかるお膳立ての中にいるようなものである。
個人の力が増すということは失敗は自分のせいだということを意味する。
自分以外の誰にも責任がないのだから、自分よりも大きな存在、例えば、神様、国、家庭というものを信じないので、自分の失敗は破滅的なものに思えるのだ。
個人主義社会では自分が死ねば全てが終わると考えられるので、自分の失敗は永続的なものに思えちしまう。
個人の失敗には妥協の余地はなく、失敗の影響は人生全体に及ぶ。
一方より大きな存在を信じている社会では、個人の失敗はそれほど永続的でも普遍的でもない。
個人主義では人生に意味は見いだせない。
人間は自分がより大きな存在に属していると感じることが必要なのだ。
より大きな存在に身をゆだねることができればできるほど、より多くの意味を見いだすことができる。
現在の若い世代が神様や国家との関係や義務を真剣に考えることができず、いつでも帰ることのできる大きな家族の一員であると感じることができる限り、人生に意味を見いだすことは難しい。」
(「なるほどのひと」 発行者:紺谷清春 話:飯田史彦先生(「生きがい論」シリーズ著者)より引用)
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「小さな自分」にだけ身を委ねていることは、いつか一人で立っていられなくなる。
「大きな存在」に身を委ねることができる。
そこは、安心の場所。
そうで在りたいなぁ~。
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