※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、383「みとめる」
***********************
「私に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」。
これは、ヨハネによる福音書、二○章一七節に出てくるイエスの言葉である。
復活したイエスがマグダラのマリアの前に姿を現し、
「私に触れるな。なぜなら私はまだ〈父〉のもとへ上がっていないのだから」と言ったのである。
……ナンシーは、イエスのいう「私に触れるな」は「イエスがマグダラのマリアを拒むということではない」と言う。
イエスは「触れるな」と言ったその理由は、みずからは「なぜなら私はまだ〈父〉のもとへ上がっていないのだから」と言っている。
つまり、彼は「出立」のときにあり、彼を引き留めることをするな、というのである。
ナンシーは、彼の言葉を
「きみは何も掴んでいない、きみは何も掴むことはできないし、何も引き留めることはできない、そして、それこそが、きみが愛し、知らなくてはならないことだ。
それこそが、愛の知のありようなのだ。
きみを逃れるものを愛しなさい、去る者を愛しなさい。
その者が立ち去るのを愛しなさい」と捉え……。
(「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」著、桑原知子より引用)
***********************
自分の考えに合わないからって、引き留めはしてないかい?
この世には、千差万別の人間たちと千差万別の考え方があるんだよ。
千差万別×千差万別=えらいこっちゃ!(笑)
えらいこっちゃだけ!の道があるんだ。(笑)
自分の考えと違ったとしても、
そのままを認め、
背中を押してあげるのも大きな愛なんだよ★
**********************************************
今日もありがとうございました!
※現在も継続して発行中!
最新号は、下記右フッターより登録★