※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2013年
NO、325「しんじつ」
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わたしの書くものの意図は、あなたはこう考えなければいけないというものではない。
わたしの意図はこうである。
ここに驚くべきコスモスの、さまざまな大切な側面がある。
この側面、あなたの世界観のなかに包含したことはありますか、というものである。
……わたしの一つの原則は、誰もが正しいということである。
言い換えれば、誰もがわたしも含めつつ、真実の重要な断片をもっている。
より広大な、より慈悲のある抱擁のなかで真実のすべての断片は尊重され、慈しまれ、包括されなければならない。
フロイト主義者にはこう言う。
「仏教を調べたことがありますか?」。
仏教徒にはこう言う。
「フロイトを調べたことがありますか?」
リベラルにはこう言う。
「保守のなかにある重要な思想に気が付きましたか?」
保守にはこう言う。
「リベラルの視点を少し含めることは不可能でしょうか?」
……という具合に続く。
どの時点でも、わたしは、フロイトは間違っている、仏陀は間違っている、リベラルは間違っている、保守は間違っている、と言ったことはない。
それらは重要な真実である。
しかし部分的なのである。
わたしの批判は、常にどのような領域においても、その核となる信条に向けられている。
それは、その特定の分野における真実だけが唯一の真実であるというものである。
この点においては、わたしはやや厳格であったかもしれない。
しかし、どの領域も本質的には真実の断片を含んでいるが、それはあくまで部分的であるというのが、わたしの信条である。
さて、いつかわたしの墓に、誰かがこう刻んでくれたら、本望である。
「彼は正しかった。しかし、あくまで部分的であった」と。
(「ケン・ウィルバー集成」著、ケン・ウィルバー より引用)
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「~でなければならない」なんて、ないのかもしれない。
何もかも、全てが真実なのかもしれない。
人間は、どぉがんばっても、究極には至れないものなのかもしれない。
「自分も正しい。
しかし、
あくまで部分的である。」
という真実を自覚できた時、
自分にも、人にも、いつもより優しくなれる気がする★
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今日もありがとうございました!
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