※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、462「かがみ」
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ギリシャ神話に登場する「アンフィトリオン」を題材とする劇を取り上げた。
このお話を簡単に紹介しよう。
神であるゼウスは、聡明で美しい女性、アルクメーネに近づきたく思うが、彼女はあまりにも貞淑で、婚約者であるアンフィトリオンに対する操を堅く守っていたので、想いを遂げられずにいた。
ゼウスは一計を案じ、みずからがアンフィトリオンの姿に化けて、アルクメーネを意のままにする。
アルクメーネは、二人のアンフィトリオン(人間であるアンフィトリオンと、もともと神であるアンヒィトリオン)と結ばれ、双生児を宿し、イピクレスと、英雄ヘラクレスを生んだのである。
このギリシャ神話のエピソードは多くの劇作家のイマジネーションをかき立て、数多くの演劇が作られた。
その中で、アンヒィトリオンはもう一人のアンフィトリオンに出会う、
つまり、「自分」が「もう一人の自分」に出会うのである。
この出会いは、人のこころを大きく「ゆらす」。
アンフィトリオンは「私は頭が変になった。自分が誰かわからないぞ」と言い、この「もう一人の私」との出会いは、人を狂気や死へと向かわせる「悲劇」となるのだ。
一方で、このお話は喜劇としても上演されており、多くの演劇や残っている壷絵の中に、悲劇のものに混じって喜劇が存在する。
「もう一人の私」の現象は、たしかに恐ろしいものであったり、みずからの足下がぐらぐら揺れる体験ではあるのだが、「内なるものを外に発見する」という体験は、他方で、超越体験あるいは宗教的体験ではあるのだが、「内なるものを外に発見する」という体験は、他方で、超越体験あるいは宗教的体験となり、「喜び」へとつながりもする。
元型的な「双子」もまた二面性をもち、お互いを殺し、破壊する側面と、お互いを助け、もっとも強い味方となる側面の両方をもっているのである。
この「悲劇」と「喜劇」を分けるものは何なのだろうか?
(「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」著、桑原知子より)
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「世界は自分の姿を映す鏡」
なんて話はよく聞くけど、
それを「悲劇」か「喜劇」にするのは、
「自分がどう活かすか?」
とにあるんではないだろうか…?
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