※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、388「あたりまえ」
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なぜ「あたりまえ」のことを実践することは難しいのだろうか?
だいぶ前のことになるが、私は、一度、ダライ・ラマの話を直接聞いたことがある。
話の内容は「人にやさしくしましょう」ということだった。
言ってしまえば、ただそれだけの内容だったのだが、私は彼の笑顔とともに、話がとても身にしみたのを覚えている。
人にやさしくすることが望ましいのは、だれしも納得するだろう。
しかし、その「あたりまえ」のことを実践することはとても難しい。
やさしくしようとするならば、人から頼まれたことは断らず、できるだけ他者の要求に応えようとするだろう。
しかし、人には限界があり、すべてを引き受けていたら逆に攻撃的になったり、破壊的になって、やさしくなどできない。
また自分を守って断ってばかりいたら、それはやさしさとはほど遠いことになってしまう。
つまり、「あたりまえ」のことというのは、たえず「反立」することを内包するのではないだろうか。
単純で基本的なことがらほど、二面性を内在させる。
心理臨床に携わるものは、たえずこの「二面性」に引き裂かれ、そのせめぎあいのなかでの実践を迫られる。
しかし、この「せめぎあい」のなかでこそ、「効く」というはたらきが生まれてくるのではないかと、私には思われるのである。
(「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」著、桑原知子より引用)
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「当たり前には、相反する物のせめぎ合いが内包されている」
当たり前って難しいー。
逆に言えば、
当たり前のことに真理がある気がするし、
大切にさせて頂くことは、すっごく尊いことなんすね★
「当たり前」
大事に、丁寧に。
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今日もありがとうございました!
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