※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2013年
NO、286「シンクロニシティ」
シンクロニシティは、
日々、本当に多くの感激をぼくに与えてくれます。
そのシンクロニシティの起こし方★
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共時性を認めるためには、そこに「意味」を感じる主体が存在することが必要となるわけである。
たとえば、先の例においても、夢と黄金虫の出現との関係に何ら注目しないか、あるいは、「偶然のことさ」と考えるとすると、そこには共時性などということは問題となってこないのである。
ここで、「意味」を感じる主体の存在を前提としていることは、共時性を考える上で極めて重要なことである。
しかし、このことは、ある人にとってはあらゆることが共時的現象と感じられはしないかという疑問を生ぜしめる。
たとえば、私が「鳥井」という人のことを考えていると、窓の外で鳥が鳴いているとき、
それを「意味」あることなどと考えはじめると、この世あらゆる現象が共時的に見えてくることになる。
これに対しては次のように考えるべきであろう。
そのようなこともすべて共時的現象である。
考えてみると、自分が「鳥井」という人について想いめぐらすことも、鳥が飛んでくることも、それはそれぞれ因果律によって生じていることである。
しかし、われわれはその因果の現象を追及したり、それを深く考えることはしない。
それと同様に、多くの共時的現象について、その個人がどれほどの意味を感じ、どれほどその追及にコミットしてゆくかが問題であって、
それが共時的現象かどうかなどという問いかけはあまり問題にならないのである。
言うならば、この世の現象は、因果律と共時性と、二つの見方で見られるのであるが、そのような見方によって、われわれが何を得るかが問題である、というべきであろう。
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シンクロニシティを作りだすのは、
自分のこころ。
「意味がある!」と確信した、
自分のこころが起こすもの★
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