※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2013年
NO、218「いま」
「昔はよかった」と言う人は多い。
うそと思う人は、テレビ、ラジオなどを視聴されるとよい。
「昔はこのようなことはなかったが、今は……」という式の嘆きや批判をすぐ聞かれることになるだろう。
約三千年程以前に書かれたバビロニアの粘土書版にも、
「今日の若者は根本から退廃し切っている」、「以前の若者のごとく立ちなおることは、もはや望むべくもない」
というようなことが書いてあるとか。
(中略)
こんなふうに考えてみると、「昔はよかった」論はどうも不毛なことが多いようだが、
それにしてはよく聞かされるし、自分もつい言いたくなることが多いのはどうしてなのだろう。
それはやはり、社会の変化に自分がついてゆけなくなったときに、そう言いたくなるのではなかろうか。
現在の若者の生き方についてゆけない。
そのとき、それをそのまま認めるのは残念だったり、腹が立ったりするので、今時の若者はなっていない、というように言いたくなるのではなかろうか。
このために、人間は三千年も前から「今時の若者は駄目だ。だんだんと悪くなる」と繰り返しながら「進歩」してきたのではなかろうか。
(中略)
もっとも、人間は時に自ら慰めて、ほっとすることも必要なので、
飲んだときなど仲間と一緒になって、「昔はよかった」と嘆いてみるのも自分の精神衛生のためにはいいことだが、
だからといってそれが別にどうということもないと知っておくべきであろう。
(「こころの処方箋」著、臨床心理士、河合隼雄先生)
時に毒も吐きます。
それも大切にしつつ、
いくつになっても、「いま」を生きたいなぁ!
ぼくは★
**********************************************
今日もありがとうございました!
※現在も継続して発行中!
最新号は、下記右フッターより登録★