※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、634「がっしょう」
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‘苦しい時の神頼み’というけれど、おたがい人間、困って悩んでセッパつまれば、やはり思わず手を合わし、神仏に祈りたいような気持ちになってくる。
どうかお頼み申します、どうかこのねがいをおきき届けください――いろいろさまざまのねがいやら求めに、神仏もたいへんであろう。
人情としてこれもやむを得ないとはいうものの、それにしてもおたがいに、あまりにも求めすぎはしないか。
頼みすぎはしないか。
頼りすぎはしないか。
手を合わすという姿は、ほんとうは神仏の前に己を正して、みずからのあやまちをよりすくなくすることを心に期すためである。
頼むのではない。
求めるのではない。
求めずして、みずからを正す姿が、手を合わす真の敬虔な姿だと言えよう。
これは別に神仏に限ったことではない。
日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。
求めずして己を正す態度というものを今すこし養ってみたい。
個人としても、団体としても、また国家としても。
そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の姿があると思うのだが――。
(「道をひらく」著、松下幸之助先生より引用。)
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「手を合わせる姿は、自分を省みる姿」
かぁ…。
自分を省みること、すぐに忘れてしまうもんね。
心静かに、
省みれるよう、
今日も合掌★
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今日もありがとうございました!
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