※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2016年
●歴代大統領も愛した、戦前の名著に見る「礼儀作法」の意義…
礼法のもっとも有名な流派のすぐれた祖述家である小笠原清務は次のように述べている。
「あらゆる礼法の目的は精神を陶冶することである。
心静かに座っているときは凶悪な暴漢とても手出しをするのを控える、というか、そこまで心を錬磨することである。」
それはいいかえれば、正しい作法に基づいた日々の絶えざる鍛錬によって、
身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、
かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにすることを意味する。
(中略)
(たっちん:ローマ帝国の話。)
あの野蛮なゴール人がローマを略奪したとき、開会中の元老院に押し入り、おえらい元老方の髭を無礼にも引っ張ったという出来事があった。
そのようなとき、私たちは元老方にもその立居振舞に威厳と力強さに欠けるところがあり、責任の一端は彼らにもあると考えるのだ。
では、礼法を通じてほんとうに高い精神的境地に達することができるだろうか。
できないわけがない。
「すべての道はローマに通じる」のだ。
もっとも単純なことがどのようにしてひとつの芸道として大成され、そして精神的修養となるのか、という例証として茶の湯をとりあげよう。
素晴らしい芸術としての喫茶がそうならないはずがない。
(「現代語で読む武士道」著、新渡戸稲造 訳・解説、奈良本辰也
http://bitly.jp/?mwcgsuwa
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日本古来から伝わる「道」がつく流儀(剣道、空手道、柔道、茶道、華道…)。
それらの道には、決まって、「型」がある。
その「型」を基礎として学び、
氣を失うほどの年月、トコトン反復を繰り返す中で、
飛び抜けた傑物が現れる。
基礎である「型」は、ある種つまらないものだけど、
別の視点からに、
「究極のエッセンスを人間の寿命よりもっと長い年月をかけて抽出した傑作品」
とも取れるのかもしれない。
いろんな物で教えて頂ける「基礎」に込められた歴史と意義を再認識し、
「心という礎」に「基礎」をガリガリ擦りつけて、
精神をピカピカに光らせていきます★
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