※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2016年
●歴代大統領も愛した、戦前の名著に見る「礼儀作法」の意義…
礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、
いつも優美な感受性として表れる。
礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。
このような教訓的必要条件はそれが日常生活の細々とした点に及ぶとき、人の注意をあまりひかない些細な行為の中に表われる。
万一、人の気付くところとなるにしても、それは在日二十年目になるというある女性宣教師がかつて私に話したような「非常におかしい」こととなる。
日陰のない炎天下にあなたがいる。
顔見知りの日本人が通りかかる。
あなたは彼に声を掛ける。
すると彼は即座に帽子をてる。
ここまではまったく自然である。
しかし「非常におかしい」ことというのは、彼はあなたと話している間中、日傘をおろしてあなたと同じように炎天下にたっていることである。
なんと馬鹿げたことだろう。
―まさしくその通りである。
しかし彼の動機は「あなたは炎天下に立っていらっしゃる。
私はあなたに同情します。
もし私の日傘が二人とも入れるくらい大きいか、または、あなたと私の関係がもっと親しかったら、喜んでこの傘の下にお入れするのですが。
けれども今のあなたと私の関係では、日陰を作ってさしあげられないので、私もあなたのご不快をわかちあいます」
というのである。
そうでなければこの場面は本当におかしいことであろう。
これと同じような、あるいはもっと滑稽な細々とした行為は少なくともはない。
それらは単なるしぐさや習慣ではない。
それらは他人の安楽な気遣う考え深い感情の「体現化」なのである。
(「現代語で読む武士道」著、新渡戸稲造 訳・解説、奈良本辰也
http://bitly.jp/?mwcgsuwa
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「礼儀は円滑油だ」
と
誰かが言った。
確かにそうだけど、
時々、無意識に「それ」をしてしまう自分がアホらしくなる時もあった。
でも…
礼儀の中に、
こんなに、苦しむ相手の手をギュッと握りしめるような、
「深く温かい優しさ」
が刻まれていたなんて…
一々考え、
エネルギーを削ぎ落とされるのを防ぐために、
先人たちが「ルール化」し、
知らない間に「愛の矢のやりとり」を行う中で、
見事なまでに、まさしく「円滑油」の役割を「礼儀」は果たしてくれていたのだろう…
知らない間に。
日本の先人先輩たちが長い年月掛けて築き上げた、
この「見えない莫大な財産」の恩恵に預かりながら、
今日も、きっちりとした服装と姿勢、頭をしっかり下げ、少し微笑みを称えながら、
挨拶させて頂きます。
「こんばんは。
いつもありがとうございます。」
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