※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2014年
NO、348「しんり」
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人々が私を指して博識と呼び、「賢者」というのを、私は受け容れることができない。
一人の人が川の流れから、一すくいの水を得たとして、それが何であろうか。
私はその川の流れではない。
私は流れのほとりに立ち、何かをなそうとするのではない。
同じ川のほとりにあって、ほとんどの人がそれによって何かをなそうとした。
私は何もしない。
私は桜の木に桜桃ができるのかを心配するようなことを思っても見たことがない。
私は立ち、自然がなしうることを賛美しつつただ見守るのみである。
ここに一つの素晴らしい話がある。
一人の弟子がラビ(たっちん:ユダヤ教においての宗教的指導者であり、学者でもあるような存在)のところに来て尋ねた。
「昔には神の顔さえ見た人たちがあったのに、今ではどうしてそんなことがないのでしょう。」
「それは、今では誰も前ほど深く身をかがめることをしないためだ」とラビは答えたという。
流れから水を得んとするものは、少しは身をかがめねばならない。
他の人々と私との違いは、私にとって「境界壁」が透明であったことである。
(「ユング自伝―思い出・夢・思想―2」著、C・G・ユングより引用)
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この世を動かす真理、「働き」に触れたいなら、
我を横におき、心を低く屈めなければならない。
ぼくもユングさんのように、
大いなる流れの存在を知り、
それを認め、
気持ちよく眺めていたい★
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今日もありがとうございました!
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