※このブログは、ご縁つなぎのコピーライターたちばなみかんが【6年以上に渡り、氣づきのメッセージを毎日メルマガ発行すること】を通して、成長していく軌跡を綴った【スピリチュアル&自己啓発ブログ】です。
6年間に渡る【氣付きのメッセージ】は、あなたの人生に【安心】を招き、運勢をうなぎ上りさせると確信しています。
そして、このブログを総て見ていただければ、【継続して何かを続けると、人間はどのような成長を遂げていくのか?】を端的に知ることができますと思います。
【私のありのまま】を泥臭く記し続けました。
6年間もの間、メルマガ発行を継続して続けることによって、どのように【心的にも】【ライティングテクニック的にも】【魂的にも】成長していくのか?
どうぞお楽しみください。
2013年
NO、204「こころ」
なんだか、安心しました★
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あるとき、無理に連れて来られた高校生で、椅子を後ろに向け、私に背を向けて坐った子が居た。
このようなときは、われわれはむしろ、やりやすい子が来たと思う。
こんな子は会うや否や、「お前なんかに話をするものか」と対話を開始してくれている。
そこで、それに応じて、こちらも「これはこれは、僕とは話する気が全然ないらしいね」などと言うと、
振り向いて、「当たり前やないか。こんなことしやがって、うちの親父はけしからん……」という具合に、ちゃんと対話がはずんでゆくのである。
こんなときに私が落ち着いていられるのは、心のなかのことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。
この高校生にしても、カウンセラーのところなど行くものか、という気持の反面、ひょっとしてカウンセラーという人が自分の苦しみをわかってくれるかも知れないと思っているのだ。
人の助けなど借りるものか、という気持と、藁にすがってでも助かりたい、という気持が共存している。
しかし、ものごとをどちらかに決める場合は、その相反する気持の間で勝負がきまり、「助けを借りない」という方が勝つと、それだけが前面に出てきて主張される。
しかし、その実はその反対の傾向が潜在していて、それは、51対49と言いたいほどのきわどい差があることが多い。
51対49というと僅かの差である。
しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識のなかに沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。
サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。
従って、意識的には片方が非常に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。
このあたりの感じがつかめてくると、「お前なんかに話をするものか」などと言われたりしても、あんがい落ち着いていられるのである。
じっくり構えていると、どんなことが生じてくるか、まだまだわからないのである。
(「こころの処方箋」 著、臨床心理士、河合隼雄)
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ずーっと前のぼくは、「心は2対0、100対0」と思っていました。
「白か黒か」の心は辛かった。
もちろん、いろんな心があっていいんやろけど、
「心は51対49」と知った時、
なんだか安心したのです★
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